こんにちは!おてライターのHIDEさんです!お寺を楽しくする情報を発信しています。

お寺に歴史あり。

今回はそんなお話をお届けします。

※この記事は坊守へのインタビューを元に構成しています。

はるばる岐阜から

1月某日お昼ごろ。

坊守が浄教寺の境内で写真を撮っているお三方を見かけました。

右から、富田さん、お母さま、専務さん

草津は元宿場町であり、時々観光客風の方が尋ねてくることもあるので、同じような方かなと思い、「お寺のこと説明しましょうか?」坊守がと近づいていきました。

すると、「富田というのですが、実は岐阜の大垣市から車で来ました。祖父はこの鐘楼を建てた人なんです。」と、お話されたのです。

完成図を広げてみると…

玄関へお通しすると、持ってきておられた完成図を広げられました。

そこには『館定山浄教寺鐘堂書面図』とありました。

「やっと見つけました!」と富田さん。

 

現在、岐阜県大垣市神田町で「トミダユニティー」という会社を経営されている富田さん。

●株式会社トミダユニティー リンク

社史を作ろうと思って、祖父が大工さんをしていたところからさかのぼっっていくと、ある設計図と完成図を見つけました。

その完成図が、今回の『館定山浄教寺鐘堂書面図』だったわけです。

 

「『浄教寺』をずいぶん探していました。ここへ来る前もいろんな所へ行きました。ある時に、祖父が建てたものがある、黄檗宗のお寺(滋賀県甲賀)へ伺った時に、『草津に浄教寺というお寺がある』という情報を教えてもらいました。」

そこで、インターネット検索し、浄教寺のホームページで見つけた鐘楼の写真を見て、「この鐘楼では?」と来寺されたそうです。

「比べてみると、表装の設計図に間違いないので写真を撮っていたんです。」と富田さん。

それを裏付ける証言を浄教寺の前坊守が教えてくれました。

前坊守「ウチの鐘楼は昭和7年~8年に建てられました。建設の際に土木に詳しい門徒総代さんが、周辺のお寺や赤野井別院の鐘楼を見学にいったらしいのですが、どうもピンと来なかったようで。そこで、どこからか岐阜の方にいい宮大工がいるという話を聞いて、そちらへ行ったそうです。そこで、完成物を目にしたのか、いいのが見つかった!ということで、そちらの宮大工さんに依頼することにしたと聞いています。」

どうやら、これは間違いのない話のようです。

今回の件について同行された富田さんのお母さまが語ってくれました。

「母(おそらく作った宮大工さんの奥さん)とおばが、先代の作ったものを見たいといっていたのですが、どちらも亡くなってしまい直接は見れませんでした。しかし、今回、見つけられてよかったです。」

また、富田さんは「今回の発見で、会社の歴史としても鐘楼が建てられた時までさかのぼれました。設計図は丁寧に書かれていますので、おそらくこれ以前にも経験があるのかと思います。ということは、もっと前から大工さんとして活躍していたことなのでしょう。」と、お話ししてくださいました。

 

まとめ

まさに、お寺に歴史あり。

お寺の歴史とは、人の歴史です。

今回は時を越えて、鐘楼の製作者の子孫が訪ねてこられましたが。こんなこってあるんだなと思います。

様々な縁によって支えられているお寺。そこにたたずむ大きな鐘楼。ぜひ、一度見に来てください。